ショーはと蔵馬が見に来た時と同じように、夜の11時から開演となった。シルク・ド・フリークではお馴染みのプログラム進行で、まずはウルフマンで観客を震え上がらせる。滞りなくスムーズにショーは進み、最後から二番目のダレンとクレプスリーの番が来た。
「それじゃ、お先に。」
バサリと臙脂色のマントと蝙蝠の翼の形をした燕尾服の尾を翻しながらステージへ向かうクレプスリーの後を、マダム・オクタの籠を下げた海賊服のダレンが追う。バンパイアの二人によるおぞましくもスリリングな毒蜘蛛ショーはいつものようにヤギを刺し殺すところから始まった。マダムに様々な芸をさせた後、クレプスリーはかの毒蜘蛛を籠に収め、ダレン共々深々と観客に向かって頭を下げた。彼らのショーは終わったのだ。

舞台袖のの心臓の鼓動が、ドキドキと早まってきた。は普通の女の子以上に度胸はある。今までグロテスクな外見を持った怪物達とさんざん戦ってきたのだから。だが、これだけ大勢の観客の前で、相手を”殺す”ためではなく、”魅せる”ために精霊使いの力を使用したことはなく、さすがに緊張してきた。
そっと蔵馬はのかんざしを直してやりながら、彼女の耳許で囁いた。
「飾って自分を良く見せようとする必要はないよ。いつも通りの、元気で明るいのままでいい。俺が大好きなのままで。」
「蔵馬…。」
は蔵馬の言葉を噛みしめるように、すうーっと一回、大きく深呼吸した。
「よし!行きますか。蔵馬、準備はいい?」
「いつでも。」
は今は下に着ている和風ハイレグを隠すように、しっかりとうちかけを着付けていた。いずれショーの途中でこのうちかけは脱ぎ捨てる予定だ。蔵馬は暗黒武術会の時にも着用した、淡い黄色の服を着ている。
、蔵馬、頑張って。」
戻って来たダレンがこれから舞台に上る蔵馬とを、すれ違いざまに励ました。二人は無言でコクンと頷き、スポットライトが照りつける舞台へと出た。

「さあ皆様、本日最後のショーです!東洋の神秘を皆様にとくとご覧に入れましょう!当サーカスに突如彗星のごとく現れた期待の新人!精霊使いの嬢です。」
野太い声だが高らかに、ミスター・トールはを観客に紹介した。
と蔵馬は観客に向かって頭を下げた。すると突然、ステージ上のみならず、観客席の上空にも、青真珠色の光球がいくつも出現した。ゆらゆらと揺らめきながら輝きを放つその光の球の美しさに、観客達は驚きの声を上げた。たちは顔を上げると、そこにはずらりと席を埋め尽くす観客が見えた。再びの心臓の鼓動は早くなってきたが、は堂々たる明るい声で、観客達に向かって言った。
「今宵はショーにおいでいただき、ありがとうございます。僭越ながらもショーのラストを飾るという大役を果たすことになりましたこの私、ですが、皆様最後までよろしくお付き合いくださいませ!」
はぱちん、と指を鳴らした。すると青真珠色の実体のない水気の球から、金魚に似たひらひらとした尾びれと背びれを持つ小さな魚がいくつも飛び出してきた。が召喚した、幻想世界の魚たちだ。彼らはここが水中であるかのように自在に空中を泳ぎ、観客達の席の間をすり抜ける。観客達は手を伸ばして異界の可愛らしい魚に触れた。
「さあ、それでは水の中の世界から、陸の世界へと参りましょう。」
はそう言うと、蔵馬に目で合図をした。蔵馬は手に妖気を込めて前へと差し出す。すると、テントの中のあちこちから若木が芽吹き、あっと言う間にテントを埋め尽くす大木へと成長してしまった。その木の先には薄桃色の蕾が膨らみ、花を咲かせる。ヒラヒラと舞い落ちるその花びらは、日本人には馴染みが深い桜だった。さらに観客席の通路にはまた別の植物が生えてきていた。控えめな桜の桃色とは対照的なはっきりとした高貴な紫色の花…。これも日本を代表する美しい桔梗の花であった。わあっと歓声を上げる観客達。春の桜と秋の桔梗。日常では絶対に同時に見ることができない二つの花を、同じ場所に咲かせることができたのは、蔵馬の妖気だからこそ成せる技だ。そしてこの二種類の植物は、蔵馬がの手足にペイントされた図柄に合わせたものだった。観客の目の前では豪奢なうちかけに手をかけた。

女は度胸…!

心の中でそう呟き、ばっと一気にうちかけを脱いで投げ捨てる。はかの露出度の高い和風ハイレグの姿へと変わった。観客達…特に男性の観客からおおっと声が上がった。蔵馬が桜の木々に架けた空中ブランコ代わりの蔓には高くジャンプして飛び移った。そのまま木々の蔓の間を華麗に飛び回る。安全ネットなしの空中ブランコを観客達はかたずを飲んで見守る。当のはひとしきり楽しそうに空中散歩を楽しんだ後、三回転の宙返りを披露しながら、舞台の上の蔵馬目掛けて蔓から手を離し、一気に飛び降りた。普通の人間なら、絶対にできない芸当だが、彼らには朝飯前。蔵馬はしっかりと着地点で待ち構え、彼女をお姫様抱っこの形に抱きとめる。さらに蔵馬はを高々とそのままの姿勢で空中に掲げ、は片手を宙に差し出した。
「氷蝶乱舞!!」
冷気でできた、スポットライトの光を浴びて七色に煌く蝶達が、大量に凄まじいスピードで観客目掛けて向かっていった。もちろん、殺傷能力はがゼロに調節していた。通常の氷蝶乱舞は最新鋭のマシンガン以上の威力があり、観客達は姿かたちもわからないほどに粉みじんにされてしまうだろうから。
きゃー、くすぐったい、冷たくて気持ちいいという観客の声が聞こえてきた。氷蝶の群れは最後に一つに集まり、虹よりも鋭く鮮やかな、まばゆい七色の閃光を残して消えた。蔵馬が出現させた桜と桔梗も、いつの間にか消えている。
一瞬の出来事に動揺している観客達に、と蔵馬は深々と終わりの例をした。一瞬しんと観客席は静まり返ったが、次の瞬間、鼓膜が破れんばかりの盛大な拍手がと蔵馬に送られた。

と蔵馬が舞台裏へと退くのと同時にミスター・トールが舞台に上がり、しめくくりの挨拶をした。
、蔵馬!お疲れ様!!すごかったよ!」
ダレンが二人に駆け寄ってきた。
「ああもう、すごい緊張したぁ〜!!」
は胸を押さえながら言った。
「結構ノリノリだったと思うけど?」
蔵馬が横から小さな皮肉を入れる。
「まあね。でも緊張したのは本当よ。」
「お疲れ。喉渇いてないか?」
ショーに出られず裏方に回っていたエブラが、と蔵馬に紙コップに注いだスポーツドリンクを差し出した。二人にコップを手渡すと、エブラはダレンに尋ねた。
「なあ、ダレン。さっきここに変なヤツがいなかったか?」
「え、変なヤツって何さ、エブラ?」
「この舞台裏をキョロキョロ探るように見ているヤツがいてさ。うちのスタッフじゃなかったぞ。迷い込んだ観客かと思って声をかけようとしたんだけど、あっと言う間にいなくなっちまって…。」
「いなくなったんなら、別に気にする必要はないんじゃない?」
ダレンの答えは何とも呑気なものであった。
「う〜ん…。」
反対にエブラは尚不審そうに唇を尖らせた。
、蔵馬。よくやった。」
ミスター・トールがと蔵馬の背後に現れていた。は慌ててミスター・トールに頭を下げた。
「あ、こちらこそ今日は飛び入りでショーに参加させていただいて、ありがとうございます。お客さんの反応はどうでしたか?」
ミスター・トールはかんらかんらと豪快に笑った。
「君達に送られた拍手を聞いていなかったのか?お客様は皆、大満足だったぞ。この調子で日曜までのあと三日、よろしく頼むぞ。何ならこのままシルク・ド・フリークにいてくれても構わんが…。」
あはは、とは苦笑いを浮かべた。
「ありがとうございます。でも、それはちょっと。学校もありますから。」
「そうか。でももし学校を出て就職先を決めることになったら、ぜひ当サーカスも選択肢に入れておいてくれ。破格の待遇で迎えよう。」
皆も今日は良くやった、後はゆっくり休んでくれという一言を最後に、ミスター・トールは一同に背を向け、ゆっくりと口笛を吹きながら歩き出した。
、お疲れ様。明日もよろしくね。お休み。」
ダレンは手を振ってエブラと共にテントに戻って行った。と蔵馬は彼らを見送った後、帰宅することにした。
「!」
と蔵馬の顔が突然、素早い動きで同じ方向へと向けられた。大テントの脇に積まれた角材の影だ。
「蔵馬…今、誰かそこにいたよね?」
「ああ。俺達に気付いて、逃げ去ったみたいだけど…。」
その人物の微かな残留思念がに伝わってきた。誰のもので、誰に向けられているのかははっきりとはわからなかったが、どろどろと纏わり付いてくるような、強烈な復讐の思念…。そのおぞましさに、は思わず身震いした。
「…とりあえず、謎の侵入者は今夜は戻って来ることはないと思うけど、用心はしておいた方がいいかもしれない。エブラが言っていた不審者と関係があるのかも…。」
じっと角材の方を見つめながら、蔵馬が言った。
「ええ。」
も厳しい表情のまま、コクリと頷いた。

金曜日と土曜日は、特に何も問題がなく過ぎていった。エブラの蛇もショーに復帰できる程ではなかったが、徐々に体調が回復していた。金曜日は学校があって辛かったものの、土曜日と日曜日は休みなので、と蔵馬は朝からシルク・ド・フリークを手伝いに来ていた。二人のショーも大筋は木曜日のものとは変わらなかったが、舞台慣れしてきたはアドリブでセリフを言ったり、精霊を召喚したりしていた。蔵馬はのそんな姿を温かく見守りながらも、

これがクセにならないといいな…。

と一抹の不安も覚えていた。

だが、順調なことばかりではなかった。と蔵馬は例の不審な気配を金曜日も土曜日もたびたび感じていた。その気配はけして同じ所に留まっていようとはしなかった。エブラが言っていた通り、何かを探っているようだ。しかも抜け目のないことに、か蔵馬がその気配の確認に向かう頃には姿を消してしまう。
妖怪でないことは明らかだったが、何かの特殊訓練を積んだ人間と見てよいだろう。はミスター・トールにこの気配のことを報告した。ミスター・トールはわかったと一言だけ言って頷き、手の空いたスタッフを交代でシルク・ド・フリークの周囲に見張りに立たせる決定を下した。
それでも特に実害はなく、いよいよシルク・ド・フリーク日本公演の最終日の日曜の午前11時を迎えた。